長野の秘湯をめぐる旅!

 長野県には豊かな水が沢山あるおかげか様々な秘湯が沢山存在しています。このページではそんな温泉の中から「日本秘湯を守る会」などによって秘湯認定された温泉をご紹介します。

日本秘湯を守る会?

 日本秘湯を守る会は秘湯という造語を生み出した岩木一二三の提唱によって、バスも通っていない交通に不便な小さな山の温泉宿三十三軒が集まって設立されたとされています。特にこれらは大阪万博をきっかけとして、日本中に旅行ブームが持ち上がっていたこともあってか、未曾有の秘湯ブームを作り出しました。

温泉の種類

 一口に秘湯と言っても全てが源泉掛け流しという訳ではありません。源泉掛け流し以外には以下の様な方式の温泉があります。

かけ流し

 適温にするために加水、又は加温しながら新湯を給湯、利用している浴槽です。一度浴槽に給湯された湯は循環利用されることなく放流している状態です。

給湯口源泉・浴槽加温循環

 給湯口からは源泉の新湯が給湯されていますが、適温を保つ為に循環している利用形態です。

給湯口源泉・浴槽加温・濾過・殺菌循環

 給湯口からは源泉の新湯が給湯されていますが、適温を保つ加温と、濾過・殺菌などの為に循環している利用形態です。

給湯口を含む加温・濾過・殺菌循環

 一度浴槽へ給湯された温泉が、湯量、適温を保つ為の理由により循環利用する中で、濾過・殺菌循環され、再び給湯口から給湯し利用している利用形態です。

 また源泉掛け流しの場合で湯温が異常に高い場合は熱を冷ます機械にかけていることがあるようです。

北信

五色温泉 五色の湯旅館

 明治初めころは猟師や木こりら地元の人が利用していたところ、明治19年に山田村の小林幸蔵によって開湯されたと伝えられています。天候やお湯の調子によって温泉の色がミルク、クリーム、グリーン、コバルト、ブラックと5色に変化するところから、五色温泉と名付けられました。主人の水野茂氏が湯屋を構えたのは昭和28年。そんな水野氏ですが、現在は信州秘湯会を組織しています。

子安温泉

 平成2年10月に開設され、温泉名は子安神社に近いことから名付けられました。地元のお爺さん、お婆さんが多く、恐ろしく庶民的な温泉です。茶色の湯色が魅力です。

七味温泉 渓山亭

 明治10年ころ発見され、明治22年に開湯したと伝えられています。古くは「七潜の湯」といわれ、万座温泉を経て草津へ向かう道すがら、汗を流した湯とされています。

 黒湯・綿湯などの7つある源泉の味と色がそれぞれ違うところから、その名が付けられたということだそうです。ちなみに昭和36年に電気が引かれるまでは「ランプのいで湯」という名称でした。

保科温泉 国民宿舎永保荘

 永保荘は1959(昭和34)年にオープン。かけ流しの天然温泉の評判は良く、日帰り入浴の利用者数は年間5万人ほどで安定しています。しかし、宿泊客の減少が続き、赤字が心配されていました。老朽化が進み、宿泊客の増加が見込めないことから、運営する保科財産区が市による存続を要請しておりました。それからは永保荘の名称をなくし、保科温泉とし、宿泊はやめ、日帰り入浴施設と若穂老人憩の家の併設施設として運営しております。態勢を整えた上で、10月1日からの営業を目指しています。

奥山田温泉 満山荘

 明治31年に開設された山田牧場に、昭和54年、温泉を引いて誕生しました。

 松川沿いの五色温泉付近にある源泉を引き揚げて利用しています。

蕨温泉 旅館わらび野

 過疎対策の一環として、村で500メートルほどボーリングして、毎分250リットルの温泉湧出に成功し、現地に引き湯して作った新しい温泉です。

北信州

地獄谷温泉 後楽館

 元治元年(1864年)にこの地を訪れた竹節萬蔵が開湯したという説や、弘治3年(1557年)に発見した説などがあります。 昭和40年に開園した野猿公苑がすぐ近くにあり、温泉に浸かる猿が全国的に有名な場所です。

 川を渡った向かいに昭和2年に国の天然記念物に指定された地獄谷の大噴泉があります。

 明治45年に建築された建物が一番古く残っています。50メートル先の岩間から湧出するお湯が源泉です。

 猿と一緒に入れるのが売りとなっています。

切明温泉 切明リバーサイドハウス

 魚野側と雑魚川が合流して中津川となる地点にあり、江戸時代この地域を統治していた箕作村の名主島田三左衛門が開発したといわれております。河原をスコップで掘れば野天風呂として利用できることで、秘湯好きにはよく知られた温泉とも言えます。

東信州

高峰温泉

源頼朝が狩りに訪れた際にこの地に湧く温泉に入浴したという伝承が残っています。

明治35年ころ、高峰山西側の谷間で手堀で掘削し、温泉を掘り当てました。

その後、鉄砲水で埋められてしまったが、昭和29年に温泉復興に着手し、31年から営業を始めた。しかし昭和53年に火災のため全焼。昭和58年に現地に移転して営業を再開しています。

稲子湯温泉

慶応年間に茅野の原田源吉氏が源泉を発見し、明治12年に宿泊施設を設けました。

以前は松原湖から徒歩でしか行けなかった山小屋の温泉ですが、現在は車道が通じていて楽にアクセスすることができます。

海抜1520メートルにある登山客御用達の温泉です。

初谷温泉

 明治18年に源泉が発見され、明治20年に湯治場として開業。以降、湯治場としてひっそりと、しかし着実に歴史を刻んできました。源泉は「宝命水」と名付けられ、宿の裏手で味わうことができます。また、胃腸の名湯といわれています。

千古温泉

 真田十勇士の一人である霧隠才蔵が近くにある千古の滝で忍法の修行をしたとされ、真田一族の隠し湯とも言われる秘湯です。

 現在の千古温泉は、昭和25年に開設し、当初は「津瀬島温泉」と名付けていましたが、千古温泉と改称しました。

 小諸の農家木内四郎氏が、昭和38年に買い取り、経営し、現在は日帰り入浴のみを受け付けています。

中棚温泉

 小諸義塾を創立した木村熊二と、義塾の教師たちが掘り当てた温泉(当時は鉱泉)。玄関右手の崖に開いている穴が、初代の富岡氏と島崎藤村とが協力して掘ったものといわれています。

 島崎藤村が書いた「千曲川旅情のうた」の歌詞に「千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」とありますが、この「岸近き宿」はこの中棚荘を指しています。

 この温泉は小諸義塾に7年間勤務していた島崎藤村が著した「千曲川のスケッチ」にも登場します。

「中棚の附近には豊かな耕地も多い。ある崖の上まで行くと、傾斜の中腹に小ぢんまりとした校長の別荘がある。その下に温泉場の旗が見える。林檎畠が見える。千曲川はその向を流れている。」

「この連中と一緒に、私は中棚の温泉の方へ戻って行った。沸し湯ではあるが、鉱泉に身を浸して、浴槽の中から外部の景色を眺めるのも心地が好かった。湯から上っても、皆の楽みは茶でも飲みながら、書生らしい雑談に耽ることであった。林檎畠、葡萄棚なぞを渡って来る涼しい風は、私達の興を助けた。」という風に語っています。

 最近新たにボーリングを行い、地下600メートルで39.7度の単純温泉の湧出に成功しました。

本沢温泉

 江戸時代末ころに猟師が発見したとされています。

 稲子湯を発見した原田源吉氏の養子の原田豊三郎氏が、明治15年に山小屋を開きました。標高2150メートルで、通年営業の温泉宿としては日本最高所にあるといえます。またその野天風呂も、日本最高所の露天風呂とされています。歩いてしか行けないことで有名で、真面目に歩いても二時間かかるといいます。

つらなるつながる信州『長野県』はこんな県!